撮影機材ではなく思い出(メモリ)を手に入れる

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飛ぶように過ぎ去ってゆく時の中で、ある一瞬を捉えることは容易ではなく、ましてや細部まで記憶にとどめることなどまず不可能です。冗談抜きです。私自身、あっという間に9歳になった娘の父親なので、日々痛いほどそう実感しています。

私はまた、何十年もの間、ビンテージフィルム式カメラと現代のデジタルカメラ、そしてレンズの両方のコレクションを収集してきたアマチュア写真家でもあります。1990年代の初めにフォトジャーナリズムの講義を受けたのですが、講義初日にはすっかり写真の即時性に夢中になっていました。それまで私は絵筆や鉛筆を片手に膨大な時間を注ぎ込み、動きや感情をキャンバスの上に捉えようと格闘していました。写真なら、シャッターボタンをひと押しするだけで、これと同じことができるのです。

これほどたくさん機材を持っていれば、自分の娘を写した傑作でライブラリがあふれんばかりになっているに違いない、と思われるでしょう。しかしさにあらず、実際には傑作はごくわずかしかありません。カメラやレンズを選び、続いて絞りやシャッタースピード、ISO感度その他、もろもろの設定をいじっている間に、ここぞという瞬間を逃してしまっていたからです。

COVID-19のパンデミックにより社会全体が自己隔離を余儀なくされていた期間、私は撮りためたフォトアーカイブを一通り漁ってみました。これまで見落としていた傑作が眠っているのではないかと期待したのです。結果、いろいろな写真が見つかりました。いちおう娘は写っているが、ブレた肘だけという写真。ハイライトが白飛びした写真。自然な表情をこっそり撮ろうとしていた父親に気づいてしまい、居心地悪そうな表情を浮かべた娘の写真。そういう写真が発掘されるたびに、いささかげんなりした気分になりました。

「決定的瞬間」を捉える

しかし、こうした失敗作やブレてしまった写真は、最近撮影した写真からは少なくなっていきました。理由に心当たりはあります。ここ数年、デジタル一眼レフで撮った写真は減り続け、スマートフォンで撮った写真は増え続けているということです。

被写体が何なのか分からないほど派手にブレた写真は影を潜め、代わって、娘がジャングルジムから飛び降りる瞬間や、補助輪なしのピカピカの自転車で疾走する姿を捉えたダイナミックな写真が増えました。こうした貴重な一瞬が、細部まで生き生きと捉えられているのです。これこそまさに、私の敬愛する写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソンが世に知らしめた、何気ない日常を切り取った「決定的瞬間」という概念そのものです。

Young girl jumping off of a playground at a park

今時の携帯電話のカメラが捉えた娘の写真。高いところは怖いけれど、勇気をふるって遊具から飛び降りる瞬間を撮影することができた。HDRモードや高速センサー、連続撮影といったテクノロジーを駆使して、シャッタースピードや絞り値、ISO感度が完璧に調整され、娘も空も最適な明るさで写っている。もちろん被写体ブレもない。

それにしても、私が日を追うごとに日常の写真を撮るのにスマートフォンばかり使うようになったのは、全くもって当然のことでした。ソフトウェアやハードウェア、カメラに関わるものすごい数のテクノロジーが、スマートフォン内部の小さなスペースに詰め込まれ、まさに指数関数的な勢いで進歩を遂げているのですから。一般消費者がスマートフォンを買い換える理由としてカメラシステムが上位に挙げられるのは、不思議でも何でもありません。

かけがえのない一瞬を捉えるために、スマートフォンに求められるレンズの数は増加し、センサーは大型化するでしょう。しかし、スマートフォンの物理的なサイズに限界がある以上、デジタル一眼レフカメラやプロ向けの撮影機材に匹敵するレンズやセンサーを搭載することはこれからも絶対に不可能です。

レンズとセンサーのサイズの限界を超えるために

物理的なサイズからくる限界を超えるために、スマートフォンは光学系による処理ではなく、プロセッサーの処理能力とコンピューテーショナル フォトグラフィーの技術で武装する道を選びました。コンピューテーショナル フォトグラフィーでは、AIを内蔵したソフトウェアとデジタル演算を利用して最適な設定を選び、色を補正し、シャープネスを高め、ポートレートを加工し、ときには「スタック」された複数の写真を合成する処理まで行い、最高の一枚が作り上げられます。

私がかつて、デジタル一眼レフのダイヤルをいじくり回してはセッティングに悩み、使いたいレンズを探してはカメラバッグを引っかき回すことに費やしていた貴重な時間は、今やソフトウェアによって一秒の数分の一の時間に圧縮されました。シャッターラグのせいでチャンスを逃してしまうこともありません。また、フォトショップ上で写真の色を補正したり、真っ黒につぶれたシャドウ部分からディティールを救出しようと格闘したり、白飛びした空を目立たなくしようと空しい努力を続けたりする時間も大幅に減りました。

ラグとは無縁のこのような体験を可能にしている前提こそ、マイクロンのLPDDR5モジュールをはじめとするメモリなのです。

写真の原点へ

逆説的に聞こえるかもしれませんが、スマートフォンに詰め込まれた最先端テクノロジーによって、写真は19世紀にさかのぼるその原点へと回帰しました。写真の黎明期であったこの時代、写真の価値とは、写真家が流れゆく時間の中から決定的瞬間を捉えて一枚の写真に記録することであり、切り取られた一瞬によって見る者の感情に訴えかけることでした。高価な撮影機材を使っているとか、フォトショップの扱いが手慣れているとか、そういうことではなかったのです。

この価値観とぴったりと符合するのが、1874年にパリのアトリエで第一回印象派展が開催されたとき、会場の一角で当時の先鋭的な写真家グループの作品が展示されていたという事実です。この一群の写真家は、のちにカルティエ=ブレッソンにも大きな影響を与えました。ある一瞬を、そのままの形で即時に捉えるという発想は、写真家にも印象派の画家にも通底するものだったのです。

写真の即時性という概念は、難しいものではありません。とくに、よちよち歩きだった娘が初めてギャロップしそうになったとき、大急ぎでポケットからスマートフォンを取り出して撮影した体験を持つ私のような父親や、補助輪なしの自転車に乗る子供をデジタルカメラで撮影したものの大きくブレた写真になってしまった経験のある母親には、すっかりおなじみの感覚のはずです。

デジタル一眼レフやビンテージカメラを二度と使うつもりはない、と言ったら嘘になります。しかし、スマートフォンの内蔵カメラとコンピューテーショナル フォトグラフィーがさらに進化すれば、カメラの出番がますます少なくなるのは確実です。

近い将来、重厚長大なカメラ機材は、普段はクローゼットにしまい込まれて特別な日にだけ引っ張り出されるスーツのような存在になるでしょう。そして、記憶に残る決定的瞬間のほとんどは、スマートフォンで撮影されるようになるでしょう。

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