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ある業界の変容、パート1

マイクロンテクノロジー | 2018年9月

マイクロンは2018年10月5日、創立40周年を迎えます。この節目を祝う一環として、ある業界の変容について私たちの見方をお伝えしたいと思います。メモリの歴史と、過去半世紀にわたってマイクロンがその一端を担ってきた、素晴らしい根本的な変化を振り返る三部構成のブログシリーズをお楽しみください。

すべての始まり – 標準化

それほど遠くない昔、コンピューティングテクノロジーがごく少数の市場ソリューションに限定されていた時期がありました。集中型データセンター向けコンピューター、デスクトップPC、計算機、そして急成長しつつあったセルラー携帯電話の市場でした。

その当時、イノベーションは主として垂直統合型の事業モデルから生み出され、それによってコンポーネントの標準化が推進されました。垂直統合された大手の相手先商標製造会社(OEM)が、業界で大きな力を持っていました。たとえばIBMとHPは、それぞれの最終製品における多くの重要な部分の製造に関与していました。さらに、これらの有力なOEMはしばしば、システムレベルの製品にとって極めて重要なプリント基板、ハードディスクドライブ、半導体を製造していました。その結果、自社で製造していないメモリなどのコンポーネントを購入できる、OEMにとって低リスクな環境が形作られました。

大手のOEMに先導される形で、標準化という重要な時代が到来しました。この中にはJEDECの創設と、優勢なCPUアーキテクチャー(Intel x86)の出現が含まれます。標準化は、コンピューター業界の成長を加速させるうえで重要な役割を果たしただけでなく、標準の定義で中心的な役割を果たしたOEMに、大きな力を与えることにもつながりました。

半導体メーカーも垂直統合され、自社の運命をコントロールすることを望んでいました。これらのメーカーの開発および製造プロセスは、ほとんどが自己充足的で、全体的にモノリシックでした。各メーカーが「どんな会社よりも安く」ファブを建設し、独自のテスト機器を設計・構築していました。プライドと独立独歩のビジネス文化でした。

半導体業界に投資するメーカー(と、補助金を出す政府)が増えるにつれ、避けがたい結末が訪れました。あまりに多くのプレイヤーが同じような製品を大量に開発したことで、非常にコモディティ化された(非常にボラティリティの高い)環境が成立しました。ピーク時には、メモリ業界にはマイクロンも含めて40社近いプレイヤーが存在しました。この騒然とした時期のボラティリティによって、業界は著しく縮小され、少数のメーカーだけが残りました。現在、重要性のあるメーカーはわずか3社です。

マイクロンの最初の20年間は、最高の存在を目指すための粘り強さ、イノベーション、そして競争力を拠り所としていました。その時期、マイクロンは米国中心の会社として事業を展開し、製造したものの100パーセントと、ボイシで構築したものの約80パーセントを米国で販売していました。すべてが変わったのは1998年、TIの世界的なメモリ事業を買収したときでした。マイクロンはほとんど一夜にして、ボイシと米国を中心とする会社から、世界最大のメモリ生産会社の1つとして国際的な舞台に進出しました。