私はテキサスで育ったので、私と家族にとって、 ジューンティーンス は常に重要な祝日でした。なにしろジューンティーンスは、北軍がテキサス州ガルベストン湾に到着し、1863年の奴隷解放宣言によって米国内のすべての奴隷は解放されたと公表した日、1865年6月19日を記念する祝日なのです。
私にとってジューンティーンスは、喜びに溢れた集いを意味します。子供の頃は、家族と一緒に教会へ行き、音楽と食事を楽しみました。しかし、その祝日の意義についてあまり考えたことはなく、毎年夏になるとやってくる単なるお祝いだと思っていました。バージニアに引っ越したとき、テキサスのように誰もがジュネーテンスを祝うわけではないと知り、驚きました それでも私は、2年前にジューンティーンスが連邦祝日に定められるまで、あまり深く考えることはありませんでした。
私がアメリカの祝日としてジューンティーンスの重要性について考えるようになったのは、この頃からです。受賞歴のある作家、詩人、公民権運動の活動家である マヤ・アンジェロウ は、かつてこう言いました。「もっと分別がつけば、行動も伴う」。この祝日と私の関係は常に進化しており、この国の多くの人々にとってそうであるように、その意義に対する私の理解も深まっていると今なら言えます。
ジューンティーンスの贖罪の歴史
今私がジューンティーンスについて考えるとき、私は変わらずこの祝祭を大切に思うと共に、贖罪の物語としての価値についても考えるのです。私の先祖が奴隷制の中で味わった痛みや苦しみを想像すると同時に、彼らが自由を手に入れたと知って感じたであろう純粋な喜びや高揚感を想像するのです。
現在バージニアに住む私の周りには、そのような複雑な過去が溢れています。昨年、ジューンティーンスの前にトレイルを歩いていた時、5人の奴隷の墓に出くわしました。そんな風に歴史に直面し、私はその場で固まってしまったのです。この人たちは、私が今謳歌している自由を手にすることができなかったのだと思いました。世代を経るごとに、その自由は数歩ずつ前進し、時には一歩か二歩後退することもあります。しかし、私たちが自由に焦点を合わせ続ける限り、進歩は続きます。
私の家族の歴史を称えるとき、103歳まで生きた祖父のことを思い出します。私の祖父は、 ジム・クロウ法 の下で南部で育ちましたが、200エーカーの土地をなんとか手に入れ、土地と牛を所有する実に立派な成功者となりました。だからこそ、この祝日は代々私の世代まで受け継がれてきましたが、私たちは苦しみを手放し、喜びに集中することができたのでしょう。私の家族には祝うべきこと、感謝すべきことがたくさんありました。
将来的なジューンティーンスの重要性
私は、アフリカ系アメリカ人従業員ネットワーク(BEN)従業員リソースグループの名誉あるエグゼクティブ共同スポンサーとして、こうした姿勢を未来につないでいく努力をしています。マイクロンの活気あるチームメンバーには日々刺激を受けています。私たちが計画している最先端メモリ製造への投資規模を支えることのできる、多様で高度な技術を持つ未来の労働力の構築に貢献するため、私たちBENのメンバーは、黒人学生の多い学校やその他の歴史的に疎外されてきた地域でボランティア活動を行い、次世代のイノベーターたちのSTEM意識を高めています。半導体産業における高収入の仕事の機会と報酬を紹介することで、BENのメンバーは、そうした人生が可能であることさえ知らなかった子供たちに、それは可能であるという模範を示しています。
私もまた、 マイクロンがスポンサーを務めたノーフォーク州立大学のナノファブリケーションクリーンルームの授業に参加する学生たちの顔を見ると、刺激を受けるのです。私たちのパートナーシップを通して実践的経験をすることで、学生たちの想像力、創造性、革新性に火がつくのです。私は、これまでこのような機会を得られなかった多くの学生に公平なアクセスを提供するというマイクロンの取り組みに感動しています。
アクセスの開放は、権利や自由にとどまりません。高度なキャリア機会へのアクセスも含まれます。これが私たちの国の成長を助け、良い方向へと導くのです。今回私は、この祝日をきっかけに私たちが前進するためにはどのように人々の価値を認め、私たち全員がいかに状況をより良くしていけるかを考察しました。アメリカの祝日であるジューンティーンスを、皆さんも一緒にお祝いしましょう。もちろんジューンティーンスは、家族や食事、音楽や楽しみのあるひと時ですが、同時に すべてのすべての人の自由と機会を祝う日なのです。