2022年4月にマイクロンに入社する前、私はダイバーシティ、イコーリティ、インクルージョン(DEI)に対するマイクロンの揺るぎない約束に感銘を受けました。ジューンティーンスとは、1865年にテキサス州で最後のアフリカ人奴隷が解放された日を記念するもので、マイクロンはこのジューンティーンスを祝った最初の企業の中の1社でした。米国でジューンティーンスが有給の祝日となったことに伴い、米国各地の人々とこの祝日のお祝いを続ける準備を進めており、マイクロンのリーダーシップを目の当たりにしてきたことは喜ばしいことです。
「ジューンティーンスのグランドマザー」と呼ばれる公民権活動家でノーベル平和賞候補者のオーパル・リーさんは、ジューンティーンスの祝日を提唱する際に中心的役割を果たした特別な女性です。私は彼女の歴史や人生経験、一途な決意についてもよく考えており、今年初めには、幸運にも彼女にお会いすることができました。人生の物語が輝きを放ち、勇気や根性、粘り強さを持ち合わせたダイナミックなリーダーであるリーさんは、89歳の時にジューンティーンスを祝日にするための活動を始めました。彼女は、この連邦祝日の制定を支持する160万人の署名を届けるために、テキサス州フォートワースからワシントンD.C.の連邦議会まで2,250キロメートル以上も歩きました。その5年後、バイデン大統領が6月19日を国民の祝日とする法案に署名しました。
私と同世代の多くの人々にとって、ジューンティーンスは私たちの歴史の中で欠けている部分でした。国民の祝日の制定を求める運動が本格化すると、私は同僚や知人たちからこっそり「ジューンティーンスとは一体何だ?」と尋ねられました。正直、彼らも知らなかったのです。
ジューンティーンスがなぜ重要なのか、リーさんが国民の祝日の制定に向けたビジョンと道のりを共有したことにより、人々の考え方が高まりました。ジューンティーンスは自由と統一を祝う日であると語るリーさんは、すべての人々に理解してほしいとこう述べました。「ジューンティーンスはテキサス州のためだけではなく、アフリカ系アメリカ人のためだけの日でもありません。すべての人々の自由を祝う日なのです。」 元教師だったリーさんは、ジューンティーンスについて教育することこそが、二度と同じ歴史を繰り返さないための鍵となることを皆に認識させました。
人種差別的な行為はリーさん家族に大きな苦難をもたらしました。1939年にテキサス州の白人居住区に引っ越したリーさんたちは、500人の暴徒に自宅を破壊され、引っ越しを余儀なくされました。それでも彼女は、許しとすべての人々への深い愛によって耐え抜きました。いくつかの講演の中で、彼女は必ず聴衆に「憎むことを教えられてきた人には、愛することも教えられる」と言い聞かせます。私は、すべての人間にとって世界をより良い場所にするために邁進したこの素晴らしい女性から大きな刺激を受けました。そんなリーさんと対話する機会をいただき、頭が下がる思いでした。
私たちの短いやり取りが終わると、リーさんにはアライシップに関する質問や、どうしたら変化をもたらすことができるかといった質問が寄せられました。するとリーさんは、礼儀正しくもあり愛想の良い物腰で「誰かのコミュニティに属することです」とだけ言いました。その日リーさんは、私たち全員に、家族や友人などのネットワーク内で一度に1人ずつ、その人に対する意識や気持ちを変えるよう奨励してくださいました。リーさんは、そのようなやり方で取り組めば変化をもたらすことができると語りました。それはまさに、私たちがマイクロンで実践しようとしていることです。
リーさんは人間国宝に相当する方であり、彼女の言葉や見識は私に多大な影響を与えました。私は、教育が重要であると強く信じており、この歴史を学ぶことで一体感が生まれ、私たち全員がすべての人々のためのより良い、よりインクルーシブな未来に向けて取り組むきっかけとなると思っています。
我が国の歴史は厄介ですが、勇敢に立ち向かうことこそが、私たち皆が共に進んでいくのに役立つ重要な教訓を得るための手段なのです。米国では200年以上もの間、アフリカ系アメリカ人が本を読んだり、教育を受けたり、結婚したり、人間としての主体性を持ったりすることが違法とされていたなんて想像もできません。奴隷制が終わってからも、アフリカ系アメリカ人が公民権を獲得するまでにはさらに100年かかりました。公民権の獲得は、私の家族を含む何百万人もの人々の生活に影響を与えました。1906年にアメリカの田舎で生まれた私の祖父は、信じられないほどの勤労意欲を持っていましたが、読み書きができず、自分の名前を「X」と書いて署名されられることがしばしばでした。ですが、公民権法などの法律が制定されたことで、わずか数世代で、孫は大学で教育を受け、ひ孫は医師やエンジニアの道を進むまでになりました。
そうした孫の1人として、また人種的な抑圧と差別の困難の中で育った両親の娘として、不可能を可能にし、私も同じように頑張ろうという気持ちにさせてくださるオーパル・リーさんやその他すべての活動家の皆様に感謝しています。すべての人々の生活を豊かにするというマイクロンの継続的な取り組みに参加しながら、私は彼女たちの教訓を胸に刻んでいます。