更新:昨年、DRAMの発明から55周年を迎えました。56周年を迎える今年、この発明がもたらした技術の進歩を振り返り、デナード氏の思い出と長く語り継がれる影響力を称えたいと思います。
1966年は遠い昔です。ビートルズはこの年にリボルバーをリリースしました。最もヒットした映画は「続・夕陽のガンマン」でした。そして、当時のコンピューターは大したレベルではなく、紙テープとパンチカードリーダーが必要でした。
同じ1966年、ロバート・デナード氏はダイナミックランダムアクセスメモリ(DRAM)を発明しました。それから2年後、55年前の1968年6月4日、DRAMの特許が認められました。その後のことはご存じのとおりです。
この技術を開発するために、デナード氏はIBMの研究チームを率いて、コンデンサーのバイナリデータを正または負の電荷として実験を行いました。コンデンサーから電荷が漏れたことから、デナード氏はすべてを1個のトランジスターで処理するプラットフォームを発明し、これによってサイズが大幅に縮小されました。
一時的なメモリを採用したランダムアクセスメモリ(RAM)は当時広く使用されていましたが、複雑でかさばり、大量の電力を消費するものでした。大規模な磁気ストレージシステムには部屋いっぱいのサイズの機器が必要でしたが、保存できる情報はわずか1メガバイトでした。デナード氏のアイデアは、次世代の磁気メモリを25センチ四方に縮小することでした。その鍵は、RAMを1個のトランジスターにまとめることにありました。こうして突然、コンピューターは1つのチップに10億個のRAMセルを保持できるようになりました。
最初のRAMチップである1103は、1970年に発売されました。2年間で磁気コアメモリを凌駕し、世界で最も売れる半導体メモリチップになりました。1970年代半ばまで、このチップが標準でした。
IBMが最近公開したデナード氏に敬意を表する記事には、この発見による衝撃について次のように記載されています。「今後55年間で、DRAMは世代ごとに進化していくでしょう。DRAMメモリは、以前の磁気テクノロジーを一掃しただけではありません。私たちの働き方から娯楽の楽しみ方、さらには戦争の戦い方まで、人間社会の形を変える業界の基盤技術となりました」
今日、さまざまなテクノロジーに使用されるDRAMコンポーネントとモジュール(DDR、LPDDR、GDDR、HBMなど)やフォームファクタ(コンポーネント、UDIMM、SODIMM、RDIMMなど)は、スマートフォンからクラウドサーバーまで広く普及し、世界経済を支えています。
ムーアの法則はよく知られていますが、デナードスケーリングはその概念をより深い技術的意味に落とし込んだものです。つまり、世代ごとにトランジスターの面積を半分に縮小しつつ、動作周波数(クロック速度)を40%向上させることができるという考え方です。さらに、トランジスターが安価になり、所定のスペースに配置できる数が増加しても、消費電力は一定に保たれるとされています(トランジスターの数が2倍になった場合)。
デナード氏は、ムーアの法則とデナードスケーリングがいずれ終わりを迎えることさえも見据えていました。IBMの同僚であったラス・ラング氏は、これをはっきりと記憶しており、次のように述べています。「ボブと私は、スケーリングに終わりがあるかどうかについて、いつも活発に議論していました。そしてボブはこう言っていました。『ええ、スケーリングには終わりがあるでしょう。でも、創造性に終わりはありません』」
1981年までに、マイクロンはDRAM分野に進出し、最初の製品である64K DRAMを出荷しました。これが、DRAMとNANDの分野で強力なリーダーシップを発揮するマイクロンの役割の始まりでした。その3年後には世界最小の256K DRAM製品を発表し、1987年には1メガビットのDRAM製品を発売しました。
マイクロンの64K DRAM製品
マイクロンの「We Do Windows」広告とマイクロンの1Mb DRAM製品
マイクロンでテクノロジーパスファインディングを担当するシニアフェローのガーテジ・サンドゥは、複数分野の発明家であり、IEEEアンドルー・グローヴ賞を受賞しています。ガーテジは、DRAM開発初期の革新的な日々を振り返ってこう語っています。「約15年前に私がIBMワトソンセンターを訪れたとき、訪問先の担当者がデナード氏のオフィスに案内してくれました。オフィスは訪問者に開放され、きちんと使える状態に維持されていました。数年前に退職したデナード氏は、今でも週に数時間オフィスに来ているという話を聞きました。皮肉なことに、デナード氏がDRAMを発明した当時、SRAMの低コスト代替品を探していたIntelのほうがDRAMに注目していました。ビットあたりのコストを削減することはコンピューターシステムの能力を向上させるために重要であり、IntelはDRAMのリフレッシュを管理するプロセッサーチップを設計し、システムレベルのアーキテクチャーをカスタマイズするためにあらゆる努力を払いました。これによって、DRAMは現代のコンピューティング革命に欠かせない要素となったのです」
ガーテジ・サンドゥ
IEEEアンドルー・グローヴ賞受賞者
マイクロンのテクノロジーパスファインディング担当シニアフェロー
サンドゥは次のように付け加えています。「これは、未来のメモリテクノロジーソリューションを模索する取り組みの中で、私たちが忘れてはならない歴史上の教訓です。メモリテクノロジーの導入を成功させるには、常にシステムレベルのアプローチを採用してコンピューターアーキテクチャーとその周辺のソフトウェアを設計し、エンドユーザーにとって最大限のメリットを引き出す必要があります」
デナードスケーリングどおり、DRAMの小型化と高速化が続きました。2002年までに、マイクロンは世界初の1ギガビットDDR(ダブルデータレート)DRAM製品を実証しました。マイクロンは長年にわたり、初期のパソコン用DRAMからグラフィックス、そして現在爆発的に増加している自動車、IoT(モノのインターネット)、AI(人工知能)対応デバイスに特化したメモリまで、DRAMのイノベーションを先頭に立って切り開いてきました。
2021年まで話を進めると、マイクロンはこの年、1α(1アルファ)ノードベースのDRAM製品を発表しました。これは、世界最先端のDRAMプロセステクノロジーにより、密度、消費電力、パフォーマンスを大幅に改善する製品です。
マイクロンのテクノロジー・製品担当EVPであるスコット・デボアは次のように述べています。「以前の1z DRAMノードに比べてメモリ密度が40%向上しました。この進歩は、将来の製品とメモリのイノベーションに向けた強固な基盤となります」
たとえば、このノードにより、クラス最高のLPDRAM(低消費電力DRAM)のパフォーマンスを必要とするプラットフォームに対し、電力効率が非常に優れた信頼性の高いメモリとより高速で消費電力の低いDDR5(LPDDR5)データ転送速度を提供できます。1アルファノードに基づくマイクロンのLPDDR5では、電力消費量がさらに15%削減されたため、5Gを利用するモバイルユーザーは、バッテリー駆動時間を犠牲にすることなくスマートフォンでより多くのタスクを実行できます。
マイクロンLPDDR5
その他の用途には、最も厳格な自動車安全水準(ASIL)であるASIL Dに準拠した業界初の車載用LPDDR5 DRAMがあります。このソリューションは、マイクロンのメモリとストレージ製品の新たなポートフォリオの一部であり、国際標準化機構のISO 26262規格に基づき、自動車に搭載されるシステムの機能安全の達成を目指しています。
マイクロンは、現在も引き続きDRAMの進化の最前線に立ち続け、2022年には1β(1ベータ)量産ノードを発表しました。このノードは、ダイあたり16Gbの容量と8.5Gbpsのデータ転送速度を誇り、電力効率は15%、ビット密度は35%以上向上しています。ノードテクノロジーの初期の用途では、1ベータノードのマイクロンLPDDR5Xによって、携帯電話で高解像度の8K動画の録画と動画編集が可能となります。
マイクロン1ベータノードのウエハー
その一方で、マイクロンは、1γ(1ガンマ)DRAMプロセステクノロジーに革新的な極端紫外線(EUV)リソグラフィ製造を導入したことを先日発表しました。マイクロンは、日本で初めて半導体製造にEUV技術を導入する企業となります。2025年には、台湾と日本でEUVを本格稼働させ、1γ(1ガンマ)ノードの生産を行う予定です。
55年以上前のロバート・デナード氏によるイノベーションは、急成長するメモリ業界に活気をもたらしました。比類のない64K DRAMや1γ DRAMにおけるマイクロンのリーダーシップと進歩もその影響を受けています。